約30年ぶりの南仏は素晴らしいものだった

中島久和 様  2人旅

2026年9月10日(木)午前9時〜午後5時

行程:アヴィニョン発着、ポン・デュ・ガール、サン・レミ・ド・プロヴァンス、サン・ポール・ド・モゾール修道院、レ・ボー・ド・プロヴァンス、アルル

前日マルセイユ(Marseille)から移動して、アビニョン(Avignon)にやってきた。TGVを利用してもよかったが、車窓風景を楽しむため、各駅停車の普通電車でアビニョンに向かう。今回は20歳の息子と旅をしている。

アビニョンの町は30年前とかわらず、静謐で落ち着いた街並みだった。30年前は時間が十分に取れず駆け足で廻っていたことを思い出した。今回はゆっくりと町のあちこちを散策できた。旧教皇庁、その先のローヌ川を望むロシェ・デ・ドム公園、アビニョン橋など息子を案内する。前回の訪問時は7月の演劇祭の時期だったためか、美術館はほとんど閉館していた。今回は3つの美術館を訪問できた。アングラドンコレクション美術館はこぢんまりとした建物で収蔵品もそう多くはなかったが、モジリアーニやピカソ、セザンヌ、フジタの作品をゆっくりと鑑賞できた。旧教皇庁近くのプチパレ美術館はキリスト教・聖書の場面をテーマとして作品が多い。ボッティチェッリの作品「聖母子像」が有名だが、私が気に入ったのはPier Francesco Fiorentinoの同様の作品だった。金箔の背景が煌びやかだ。厳かだが、優しくもある印象の絵が多かった。

その翌日、近隣の村や街もガイド付きで訪問した。朝9時に車でホテルに迎えに来てもらった。ガイドはプロバンス在住のCourtieux葉子さん。黒のメルセデスは非常に乗り心地がよかった。少し硬い目のシートが私の好みだ。

まずは世界遺産ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)へ向かった。駐車場が広く整備され、30年前にはなかった資料館やお土産店があり、水道橋につながる小綺麗な道が舗装・整備されていた。やはりこの水道橋は巨大で、がっちりとした筋肉質だ。2000年も前にこんな建造物を作るローマ人の技術には驚いてしまう。うまくメンテナンスをすれば使えそうだが、水道システムとしての機能は全長の途中の破壊が進み、現在は水道の機能は期待できないそうだ。帝国の人民を養うのには大量の水が必要だったのだろう。夜にはライトアップを実施しているらしい。30年前には橋の最上部に登れたのだが、危険回避のためそこは通行禁止となっていた。すっかり観光地になった。ユネスコの認定する世界遺産である。

次にサン・レミ・ド・プロバンス (Saint-Rémy-de-Provence)に向かった。アビニョンよりもずっと小さな村で、落ち着いた街並みだ。小さな村なので道に迷うことはないという触込みであったが、細い路地が多く意外と迷ってしまう。ガイドの葉子さんご推薦のカフェレストラン(Café de l’industrie)で昼食を取った。注文したポークリブ (Travers de porc)は絶品であった。量も日本人の私たちにはちょうど良かった。付け合わせのレタスとドレッシングもシンプルな味付けがおいしかった。かわいい清潔感のある店が多く、出会うのは非常に愛想のよい方ばかりであった。ヌガーやクッキー、カリソンを購入した。ヌガーは思っていたよりも、歯の裏にこびりつくような粘着質ではなく、食べ易い。息子は気に入ったらしい。フランスではワインを堪能するつもりであったが、心地よい暑さのせいでどうしてもビールを注文してしまう。旅行中に楽しんだワインはマルセイユのスペルマルシェで購入したロゼワイン1本くらいだったと思う。

つぎは近くのサン・ポール・ド・モゾール修道院(Le monastère Saint-Paul-de-Mausole)に向かう。ゴッホが療養していた修道院、兼病院であったとのことで知られる。途中からある発見があり、いったんゴッホの足跡についてはどうでもよくなってしまった。シュバイツァー博士が第1次世界大戦中に捕虜として連行され、この地で医師として約半年の間、活動した足跡を残した地であることが判明した。昔の診察器具の展示や神経症状に対する治療が行われた記録が生々しい。ガラス製の注射器は昔扱ったことがあるが、懐かしかった。ほんとうに質素な部屋にて夫婦で暮らしたと聞く。過酷な条件で音楽の活動や哲学の論文を執筆していたらしい。偉大な人物はどこでも、どのような条件でも考えること、手を動かすことをやめない。

ゴッホの療養生活については、ペロン博士という人物の指示のもと当時の最先端医療を受けていたようである。今では考えられないが、週2回温水浴と冷水浴を2時間にわたって繰り返す水治療(Hydrothérapie)を実施していたらしい。暗い病院に幽閉され、人として扱われないような過酷な生活を送っていたのだろうと想像していたが、弟の多大なる経済的援助のもと当時の最新の神経学・精神医学を取り入れた病院で療養していたとなると、かなり印象が変わった。また、このペロン博士がこの病院に持ち込んだ懸垂治療の書籍も展示されていた。この懸垂治療(Traitement par la suspension)はその当時の最新治療で、神経梅毒による脊髄癆の治療に用い入れられた。この治療をフランス全土に広めたのは、かのJean-Martin Charcot博士であった。シャルコ・マリー・トゥース病(遺伝性の神経難病)の名で知られる、近代フランス神経医学の祖、シャルコ博士である。医師としては非常に興味深い修道院であった。

レ・ボー・ド・プロバンス(Les Baux-de-Provence)は風が強かった。これがいわゆるミストラルかなと思った。カフェやお菓子店、お土産店が立ち並ぶ石畳の小路を掻き分けて山を登っていく。乾いた平地にたどり着くと眺めがよい。風が強くて吹き飛ばされそうだ。アルピーユ山脈を一望して気持ちがよい。古城レボー城の頂きに登ろうとチェレンジするが風がきついので、途中まで行って引き返し、断念した。宰相リシュリューによる破壊のため、かなり朽ち果てている。難攻不落の城であったが故にユグノー反乱軍の拠点であった。木製の投石機のレプリカが設置されている。フランス人には人気の観光地であると説明された。たしかにこんな山のなかの小さな村なのに路上駐車する車であふれていた。ルイ13世からルイ14世の時代に登場する村で、フランス人にとっては歴史的に親近感のある土地なのだろう。この時代はフランス王国絶頂期である。

無理をお願いして、アルル(Arles)に向かっていただく。云わずと知れたアルルの円形闘技場、ローマの遺跡が目的である。かつてローマ帝国末期(西ローマ帝国時代)は首都であった。親子で写真撮影する。翌日からフェスティバル(la Feria du Riz d’Arles, 2026/9/11-13)が始まる。この時は闘牛が行われるのだろう。ポスターには闘牛士の像が描かれていた。

下の写真は、実際の闘牛の様子の写真をウェブから引用したもの (https://www.jds.fr/arles/actu/programme-2026-de-la-feria-du-riz-d-arles-corridas-goyesque-et-bodegas-au-rendez-vous-1624796_A より引用)

ポスター(インスタグラムhttps://www.instagram.com/tradisud_/ より引用)

 この時期はラベンダーやひまわりの開花は逃していた。またブドウ収穫のあとの時期でもあり、さすがに景色の華やかさはなかった。また、いい時節に再訪したいと思った。とはいえ、南仏の碧い空や白い石灰岩の岩肌や、ボー城からの見渡す平原の景色はすがすがしいものを感じた。アレクサンドル・ドュマ・ペールが南仏の旅行記を書いているらしいので、それ取り寄せて読むつもりだ。再訪するときの参考にしたい。まだ訪れたい場所はいくつもあるので、次回の楽しみにとっておくといい。明日はマルセイユに戻る。

いろいろとプロバンスの見所や息子の取り留めのない哲学の話や身の振り方についてアドバイスをいただいた葉子さんに感謝申し上げる。道中、車内の会話も楽しかった。

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